MENU
電気自動車のスピードスターがパリ万博に降臨
写真:ポルシェの電気自動車「ローナー・ポルシェ」

電気自動車のスピードスターがパリ万博に降臨

2024.09.06

~あのポルシェも電気自動車を開発し万博に~

地球温暖化が問題になって以降、注目されている電気自動車。電気自動車の歴史を辿ると、1873年にイギリスですでに電気四輪トラックが開発されていましたが、万博に多くの電気自動車が出展された事実を確認できるのは、27年後の1900年、第5回パリ万博です。

電気自動車を詳しく紹介する前に、自動車と万博の歴史を少し振り返っておくと、初めて自動車が万博に登場したのは1862年の第2回ロンドン万博でした。動力は時代が感じられる蒸気機関です。ガソリンエンジンを積んだ自動車がお目見えしたのは1889年第4回パリ万博でした。いまのメルセデス・ベンツの基礎を築いたカール・ベンツが開発した三輪車でした。

電気自動車はこのパリ万博の少し前から作られ始めます。環境問題が開発の背景にあったわけではなく、シンプルで作りやすかったからのようです。1800年代終盤になると、電気自動車の速度競争が勃発。その戦いを制したのがベルギー人の土木技師ジェナッツィ。1899年、「ジャメ・コンタント」という名の車が最高速度106km/hを記録したのです。電気自動車への注目度が増す中で開催された第5回パリ万博には、この最速車を始めとして63台の電気自動車が出展されました。スポーツカー「ポルシェ」の生みの親フェルディナンド・ポルシェがつくった電気自動車も出展されていました。ポルシェは万博後、エンジンと電気を合体させて駆動する、いまでいう〝ハイブリッド車〟を開発し、最高速度90㎞の「ローナーポルシェ ミクステ」を完成させています。

その後しばらく電気自動車優勢の時代が続きますが、ライト兄弟が空を飛んだ5年後、1908年に「T型フォード」に代表されるガソリン車が大衆のもとなり、電気自動車は下火になります。

しかし70年代に入ると、大気汚染が社会問題化。また石油危機も追い打ちをかけ、再び電気自動車にスポットライトが当たり始めます。そんな中で開かれた70年大阪万博では、電気自動車が注目を集めました。来場者のタクシーや放送用機材を運搬するプレスカー、施設管理用のパトロールカーとして使うため、ダイハツ工業が275台を用意しました。車体は全体に四角くて、色は淡いピンクと白の2種類。6人乗りで、時速6~8㎞/hで会場内を走りました。

2025年大阪・関西万博では、会場へのシャトルバス全車両115台を電気自動車にすることが発表されています。人は体験して実感することで考え方や行動が変わることがあります。このバスが電気自動車への関心をさらに高めるかもしれません。

【お問い合わせ】

TOPPANホールディングス株式会社
万博・IR推進室 チームエキスポ共創事務局
teamexpo_partner@toppan.co.jp

TOP